千手観音千蔵院

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お寺の紹介

  ご本尊
 千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
  宗派
 真言宗豊山派 (しんごんしゅう ぶざんは)
  名称
 大悲閣(だいひかく)普門山(ふもんざん)観音寺(かんのんじ)千蔵院(せんぞういん)
  通称
 「千手のかんのんさま」

ご本尊の縁起

 
本尊
 
鶴屋四郎作の千手観音像

当山のご本尊千手観音さまは、天平勝宝年間(762年-763年)、行
基菩薩が一刀三礼でお造りになられた一寸八分の黄金の仏さまです。
 文治二年(1186年)京都より下り、長い間、源氏そして村上家代々の兜仏(かぶとぼとけ)でありました。伝えによると、戦国時代、村上家の武将義清は武田信玄相手に連戦連敗、悩んだ末、兜仏の千手 観音像に祈願すると、ある晩、千手観音さまが夢枕に立ち、「春の日、山に登れ」と告げられました。義清はこれを春日山の上杉謙信をたよれとの意と理解し、お告げのとおりにすると以後勝利を得たといいます。 
 その後、兜仏の千手観音像は縁あって、現在の長岡に安置されるようになります。人々はこの地を千手観音の名をとって千手村と名付け、霊験あらたかな観音さまの参拝者が増すにつれ村は千手町へと発展していきました。
千手観音を蔵するゆえに「千蔵院」という寺名をもつ当寺は、江戸時代、長岡藩主牧野家の祈願寺となり、参勤交代にともない街道筋の名刹として繁栄し、中越一帯の信仰の中心でありました。
 延宝七年(1680年)には長岡藩の重鎮草間俊重が仏師鶴屋四郎に新たに千手観音像を彫らせて寄進。その腹中に一寸八分の千手観音像を胎内仏として秘蔵したのでした。
 当山は越後三十三観音霊場第十五番札所として広く県内外の信仰を集め、「千手の観音さま」と呼ばれ親しまれています。
 縁日は毎月17日。また秘仏であるご本尊のご開帳は6年一度、子年と午年の8月10日に行われます。
越後三十三観音霊場公式サイト
http://echigo33kannon.org/

 

昔のお寺の絵

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